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I 日本国の運勢(2001年〜)


社長の器・・・◇社長の運勢で会社は廻る

遠山宣丞 ◆社長の運勢で会社は廻る。


司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」の中で、日露戦争の時の連合艦隊司令長官が”東郷平八郎”に決まった。選ばれた理由は、彼が参加した戦争で負けたことが一度もなかったので、彼は「運のいい男」だからということらしい。


これが事実かどうかは分からないが、東郷率いる連合艦隊はロシアのバルティック艦隊を破り、日露戦争を勝利に導いた。この時の東郷の統率力というのは皆が感嘆したというからやっぱりたいした提督なのだ。
会社というのは一個の組織体であるから、それをどのように運営するかで全体の運命は自ずと決まってくるようになる。だからこそ、トップの決断は重いものなのだ。そしてそれに見合うだけの報酬もある。ということはトップというのはそういう判断能力を常に持ち合わせていなければならないということでもある。


社長が組織を運営するというのは、基本的には人事に現れる。人間をどのように扱い、人の能力をどうやって引き出すことができるかということにかかるからだ。自分が仕事を行うのではなくて、仕事をみんなが一生懸命行う求心力をトップは持つことができなくてはならないのだ。


陽陰姓名術は、社長やトップ、リーダーが自分の持つ運命式をどのように運営すればいいのか、どういうリーダーになれるのかということを、しっかりとアドバイスすることができる。そういう陽陰姓名術の持つ「運命式」とは、いったいどんなものなのだろうか?


●戦国武将達の経営運勢 ●現代企業運勢の参考例

社名・店名の器・・・◇陽陰姓名術の運命式とは?

陽陰運命式 ◆陽陰姓名術の運命式とは?


姓名の持つ漢字を格数から判断し、そのバランスの持つ特徴から、運命式全体の持っている可能性を判断する。
これらは、15年以上に及ぶ鑑定データから、数字の統計的な内容を確立したものである。従来のような「吉、凶」というような判断ではなく、また数字鑑定内容も現代社会に即した最も合理的な内容になっている。運命式は活用の仕方によってはあらゆる可能性を見いだすことができるため、その人に必要なアドバイスをしっかりと行うのが特徴である。


★陽陰姓名術の運命式の「数字の配列」はその人の持っている宇宙を表す。


★数字は画数ではなく、格数である。格数とは各位を持った数字という意味である。各位というのはないようとそれにともなう位置を持っているという意味になる。


★格数の意味と内容・・・数字には陽と陰の性質があり、その陽と陰の持つ属性としての意味がある。そしてその意味にともなう内容があり、数字の持つ位置がある。その格数の持つ総合的な判断は、田の格数との相対的な関係によって決まることになる。


★陽陰姓名術の各運勢
社会的性格・・・社会的活動面で現れる性格を意味する。
仕事運・・・・・仕事に対する本人の基本的な姿勢が現れる。
人気運・・・・・社会的な人間関係の結び方が現れる。
経済運・・・・・経済活動におけるお金の扱い方全般を見るのであるが、いわゆる金運があるとかないとかというようなこととは違い、如何にお金を流通させるかというお金に対する姿勢を見る。
家庭内性格・・・家庭内における性格を意味する。
心霊運・・・・・本人の内面的な価値観の世界に影響を与える。
愛情運・・・・・愛情に対する感性や愛情表現に影響を与える。
流運・・・・・・運勢というのは、人の行動の流れの勢いを表すのだが、人生をほぼ15年周期に区切り、時の勢いや流れの状況を判断する。


★社名・店名は器
社名・店名は器である。社長というリーダーを入れるだけの容量がなければならない。それに、職種によっても器としての格数が影響を受ける。だから、社長の運勢と、業態・業種とのバランスから社名・店名は判断する。


★陽陰姓名術の判断
運命式のバランスを大切にして鑑定をする。自分の運命式をどのように育ててきたかが重要になるために、親子関係や周囲の人間関係、影響を与えた人などからその人の社会的な活動や、家庭内での行動での運命式の現れ方を判断することになる。その為自然と自分の人間関係のあり方が見えるようになる。


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社長の器・・・◇格言

格言 ◆格言


ご託はこの辺にして、トップがどんな力を持つかということを考えてみる必要がある。リーダーということについて、格言日記を参考にして考えてみよう!


格言−自分を開発し、発展していくためには、他人と同じ考え、同じ行動をしてはならない。 ---盛田昭夫ー---


農耕社会で長く生きてきた日本社会では、一斉に共同で田植えをし、収穫をするという共同歩調がどうしても必要であった。そして、少ない耕地面積で高井収穫を上げるためには、いつも技術改良する必要性に迫られてきた。 これらの自然の風土が、人間性に与えた影響は大きいはずである。 そこから生まれてきたのは、他人との協調、和の精神である。


こういう中で、リーダーになるためには、共同、協調、和の精神では集団を引っ張っていくことができない。 皆がこういう性質を持つ以上、港は違う異質な何かを持たなければ、リーダーとは皆が認めないのである。 だから、日本みたいな世界ではこういうちょっと違った人がリーダーになるのである。


しかし、個性が強く自己主張が強い欧米型の社会では、リーダーは反対に協調や和の能力が、強いリーダーシップと共に 必要になるのではないかと思う。 日本では、人とは違う何かを意識し続けることが、成功への一歩と思う。


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格言−着眼大局、着手小局。全体を把握しながら身近なところから歩を進めよう。 ---田崎雅元(川崎重工業社長)--


全体を見つめられる人!これは、なかなかいない。こういう人がちゃんといればその組織は道を誤ることはないであろうが、だいたいは、人間に欲があるからどこかで失敗をする。 じゃあ、欲が間違いなのかというとそういうことではない。欲は人間にとって必要である。


欲は発展の原動力だからである。問題は「私欲」である。仮にも組織の長たる者は、常に大局全般にわたって考えられる人でなければならないのである。(理想として!) 要するに、全体と個のバランスと順序なのであるがこの辺の使い分けが難しいのである。


達人という人はこの辺の使い分けがちゃんとできている。しかし、考え方の基本は常に大局からそして小局へと考えを進めるのが常道である。 その上で、方法論として奇策に価値が出てくるのである。組織を運営する人は、この辺で常に奇策ばかりの方法論に目を奪われやすいのであるが、そういう人は早く長をやめるべきである。その方が、組織が死なないですむ。


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格言−飼い犬の甘えを捨てて、野生のオオカミのたくましさを身につけよう。 ---津村準二(東洋紡績社長)--


世の中は、会社というシステムの中に沢山の人が構成員として入っている。そして会社人間という言葉が生まれた。会社という組織の中で如何にして出世し、生き延びていくかということなのである。猛烈社員という言葉もあった。


戦国時代は侍という戦闘集団に所属することが出世する早道であった。血筋が貴重視される中で織田信長はいち早く能力主義を採用した。下克上という戦国の時代的背景が生き延びる為に血統や出自といった出世の重要な条件を壊したのである。 それまで先祖代々の領主、貴族の出などというものは意味を成さなくなってしまった。その一方で旧体制の秩序にあぐらをかく連中もいた。


オオカミになれ!と檄を飛ばすことは、守られた旧秩序を壊すということであると同時に、旧秩序の番人であった人々を追放し、新たにオオカミをトップにした社会システムを作るぞという宣言に他ならない。そういう訓辞を述べるトップが既にオオカミの標的になっているのだ。時代は今や新たなオオカミを必要としているのかも知れない。


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格言−成功は反省と努力。 ---本田宗一郎(本田技研工業創業者)---


積み重ねという言葉があるが、こういう「反省と努力」ということをちゃんと繰り返すことができる人というのは、偉大な人といえる。


反省と努力、それは進歩の証明である。 動物は同じことを何度も繰り返す。学習効果が少ないのである。人は、同じ過ちを繰り返さない。そこが万物の霊長たるゆえんなのである。


すると同じ失敗を何度も繰り返している人は、どうも人間失格かも知れない。 まあ、僕なんかはそのうちの部類で、あまり偉そうなことはいえない。 大いなる反省をする人は大いなる努力ができる。 そう考えると、どのくらい反省をちゃんとやったかが問題になる。一番は、反省なのである。


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格言−人にはそれぞれ役割というものがある。 ---海老沢泰久(作家)---


役割というのは、おもしろい言葉だが、考えねばならないことがある。それは、損な役割と得な役割があるということである。どういう訳か、そんな役割ばかり回ってくる人もいる。かくいう僕もその一人だが、役割にはそういう役回りがあるらしい。


もう一つ役割の中には、器という意味がある。役割が回ってきても、その器であるかどうかが大きな問題になる。器、能力?とも考えられない。何故かというと、器の中には心のキャパシティから、人脈までいろいろな要素が入るからである。もう一つには、”分”というのがある。分不相応ということもある。この分にはどうも自分の地位とか、出身とかそんな。要素まで入ってくる。


人間っておかしなもので、どこかで自分を規制して、自分はこんな程度だとか、これが適しているとか、役割というものを自分で規定してしまっているのです。たぶんそういう規定をしないと自分を表現したり生きていくこととか、自分の行動に納得させられないことが多いのだと思う。 そこから出たい!それが自由になるということなのだろうが、以外とこれが難しい。


いっぺんその自分で作ってしまっている役割というものを取り外す作業が必要なのかもしれない。以外にも、周囲が自分を”こんな奴”と決めてかかってしまっているかもしれないのである。 劇だって、ドラマだって、芝居だって役割がある。自分が主役に設定すればいいではないか?何故かって、登場人物は自分がヒーローだからである。人をヒーローにする設定をするからこそ自分のドラマがおもしろくなくなるのである。格好良かろうが、惨めだろうが、主役は主役なんです。自分を主役にした脚本を一度書いてみてはどうですか?


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格言−機会を待て。だが、けっして時を待つな。 ---ミュラー(ドイツの詩人)---


チャンスは、一度来れば二度とやってこない。そのチャンスを逃がさないよ うにするにはどうすべきか? それが問題だ。


これもチャンスかもしれない。今回もチャンスかもしれない。そういって迂闊に乗っていれば、成功できるチャンスまで失いかねない。それでは、どうやってチャンスを見分けるのか?


答えは簡単である。人に頼るチャンスは、本当のチャンスではないからそれは断るべきである。また、断らないまでも、自分がリスクを負わないようにすることである。


チャンスというのは、自分で作り出すものである。自分で積み重ねてきた努力の結果に神がほほえんでくれるのである。 人には偶然のように見えても、それは当人にとっては偶然ではない。自分のやってきたことに対する、チャンスの神のご褒美なのだ。


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格言−威張る社長は威張らないと権威が保てないからです。 ---飯田亮(セコム最高顧問)---


威張る!威張りたい!誰もがみんなそういう世界があるように思う。偉くなったり張ってやろう!そう思っている人は少なからずいるはずだ。 これも優越感の表れなのだろう! 別に威張ったからって偉いって事が認められ、皆から尊敬されるということではないだろうにである。


尊敬される人というのは、どういう人だろうか? 「それは、愛される人で、尚かつ謙虚で、欲張りでなく、豪華なものを食べていなくて、庶民の食べ物を愛して、お金があるのに立派な家にあえて住もうとしないで、誰とでも親しくお話をして、いつもにこやかで、頭がよくって、仕事ができて・・・」 いつまで馬鹿なこといってんだ!


威張らないと求心力を保てない人と同じくらいだめな人が、同情を誘うリーダーである。同情心に訴えなければ人を指導できないのは・・・?威張ったり、同情心を誘ったりするのは、自分に自信がないからである。 いずれにしても、人がついてこない人はリーダーにはならない方が良い。苦労するだけである。


リーダーは、欲や得などの利害で人を動かそうとしてもいずれ限界が来る。 そんなことよりも、このリーダーのために何かアクションを起こしたい! そう思わせる人が真のリーダーなのである。 そのためには、目的、価値観、方向性、方法論、戦略性をしっかりと持っていて、部下の意見もちゃんと聞ける人なのである。 そんな人がいれば、部下としては苦労しないか!


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格言−人はよほど注意せぬと地位が上がるにつれて才能が減じる。 ---石黒忠悳(軍医)---


地位に胡座をかくということがある。 地位というのは、付属として権力や名誉やお金がついて回る。 だから、人はその人の人格にふれて屈服しているのではなく、その人の背後にあるお金や利権に頭を下げているのである。


だから、それが悪いというわけではない。そういうものは誰しもが求めるものだからである。それを自分より早く手に入れた人とそうでない人との違いがあるだけで、だからそういう人について自分もその権力や金力の恩恵にあずかりたいのである。


自分の人格に人は頭を下げている。そういう錯覚を持つようになったら人間としてはおしまいである。自分の人格に頭を垂れてくれる人がどのくらいいるのか?それが問題なのである。定年退職したり、リストラで再就職活動をするようになって、この過去の栄光が邪魔になるのである。自分の置かれている立場が理解できないでいるのである。もはや一兵卒以下なのに、自分は大将のつもりでいる。愚かとしかいいようがない。


梯子をはずされるということがある。いい気になっていると、上まで登らされて、気が付くと部下から梯子を取られてしまって自分には何も残っていないことに気が付く。 人は神になることはできないと同時に、人は物で管理することもできないのである。本人の体恤力こそ愛である。


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格言−頭の良い暗い人よりも、頭の悪い明るい人の方が立派な経営者になれる資格がある。 ---小林一博(経営コンサルタント)---


経営者の資格とは何だろう? そう考えてみると、?マークになってしまう。この格言にあるように明るい人 であれば頭が悪くていいのか?ということは右か左かの極論だが、少なくとも、頭が良くて明るいに越したことはない。 でもそれが、経営者の条件かというとそうとはどうしても考えられない。


ここでいう経営者は明るい方が、従業員の受けもいいし、やる気も出てくるだ ろうし、人を指導するということでは重要な用件と思っているらしい。 それはそうだと思う。但し、ここでいうような指導者像は現場の指揮官である 現場の指揮官の必要条件と、経営者の要求される内容は本質的に違うものなの である。


経営者に必要なことは、どうやって会社を維持し発展させるか!そのためには 何を準備しなければならないか?将来的に見て方向性と目的をどのように設定 するか!等々、もっと戦略的な内容が必要なのである。もちろん、人望も必要 かもしれない。昔、軍隊でどういう人が兵隊から人気があったか!人のいい士 官ではない。自分を生きて戦地から帰らしてくれる指揮官こそ真に人気があっ たのである。


戦略的な思考ができて、それらを用意周到に準備し、訓練を怠らない人物こそ が経営者なのではないか?そういう意味では戦国時代の織田信長などは、すご く優秀な経営者であるといわざるを得ない。 旧軍の雪の八甲田山の遭難事故を考えてみて欲しい。一つの部隊は遭難し、一 つの部隊は無事に下山をしている。何が明暗を分けたのか? 戦略と戦略目標に向けて準備したものだけが生き残れるのだ。明るくてノー天 気な奴は現代の戦国乱世の指導者にはなれない。


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格言−賢者は長い耳と短い舌を持つ。 ---西洋のことわざ---


長い耳は情報網、短い舌は失言をしない用心深さ、ではないかと思う。いつも不思議に思うのだが、歴史の中で情報を扱う人が重要視されてきたことがないように思う。忍者という集団がいたというのですが、実態は小土豪の群雄来割拠の争いの中で磨かれた技術が戦国時代の有力大名に利用されて、情報宣伝と内部撹乱の役目を担ってきたようである。


秀吉の小田原攻めの時に有名な小田原評定は、北条家の情報収集のルートが時間がかかりすぎた為という説もあるし、北条家の内部が創業時のようには一致していなかったという説もあるが、本当のところは、戦略ミスであろう。戦国時代にあって、京都や有力諸大名の情報をしっかりと把握し、情勢分析ができていなかったためと思われる。あまりに関東に目を向けすぎていたのである。


歴史上情報の価値を唯一評価したのは織田信長であるといわれる。 桶狭間の戦いは、天佑があったとしてあまりにも有名であるが・・・、いつの世でもそうだが、強いものは生き残れないのではないかと思う。 変な話だがそういうこともあるのである。普通は強い者が勝つと誰しも思う。ところが情報の重要さは弱い者の方がよく知っている。強いと思われた者が突然倒れ、いままで弱かった者に取って代わられる。


弱者の戦略というのがある。その反対に強者の戦略もある。いずれにしても、彼我の戦力や戦闘能力をどう評価するかということになるが、その根本は情報の質による。どういう情報を集めるかということが問題なのである。そういう戦略的な指示を出せるリーダーは、長い耳を持つことになる。 信長は桶狭間の戦いで、籠城か野戦かは最後まで口にしなかった。これも情報である。最後はリーダーの情報センスの問題になる。 ウサギの耳は伊達に長くはないのだ。


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格言−独立したくとも、駆け出しは組織に所属する方が有利。 ---小田光康(早稲田大学講師)---


個人と組織という問題はいつでもついてまわる問題だ。今更始まったことではなく、戦国時代からそういう問題はある。どういう主人につけば自分が出世できるかというのが最大の関心事だから、優秀なサムライは主人を選んだ。主人になる方も有能なサムライを抱えていることが自分の目的を早く達成できるから、そういう人は高禄で召し抱えた。一番良い例は藤堂高虎だ。彼の言葉に「武士は七度主君を変えねば武士とは言えぬ」などと言ったほど、主君を変えてそのたびに出世している。


組織というのは、集団で目的に向かって行動する。必然的に秩序がしっかりしていて、上下関係が厳しい。能力のあるものが出世をし、能力の劣るものは脱落していく。組織における能力というのがある。それは個人の持つスキルということではなく、リーダーとしての力である。それは個人の持つ技能というものではなく集団を統括し、目的に向かって円滑に動かすためという異能である。 これは誰も規定しようがないので、あえて異能とする。組織というものは、全く勉強することが山ほどある。無駄なようなことも勉強だ。人間を研究する良い場所でもある。


個人が一番勉強しなければならないことは人生の中で、男性であれば女性であることは間違いない。女性を勉強しなければ、たぶん世の中に出ても出世することはできないだろう!そういう意味では、現代社会は優秀な女性とそうでない女性の落差がますます大きくなってきた。これは傾城の証明である。女性が分からないと、男は天下を維持することはできなくなる。世の中の半分は女性なのであるからその勢力は無視できるはずがない。その女性の家庭の中で教育ができなくなってきている。戦後の価値観崩壊と、米軍の押しつけ民主主義が家庭の秩序を崩壊しただけで野放しにしてしまった。家庭像を見失った人たちの姿が現代だ。同様に女性も男性を見る目を失ってしまったのは、戦後の形なき家庭のせいだろう!


個人と組織の問題は、いつの時代でもある問題だが、乱世になればなるほど個人の能力が問われるようになることは間違いない。そういう意味では今は乱世に近いかも知れない。既存の社会形態が崩れ、新しい秩序を模索しているといえる。そういう中で男の働き場所、女の働き場所、家庭の存在意味、教育のあり方、すべてが問われようとしている。だから今社会は混乱している。そういうときこそチャンスでもある。個人の力が問われるのだ。社会の秩序がいろいろなところから変わろうとしている。そこでの生き方はどんどん格差が出てくることになる。藤堂高虎のように、もう一度自分で主君を選ぶサムライを学んでみる必要があるではないか?


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