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戦国武将達の経営運勢・・・◇島勝猛と石田三成
■島勝猛と石田三成
<石田三成の運命式>
16 10 13
11 19 8
14 9 14
<島勝猛の運命式>
22 11 23
12 34 22
24 23 33
義昭将軍と並んで乱世の終わりを飾る武将がいました。 かの有名な石田三成です。彼の運命式を見てみ ましょう!
<石田三成の運命式>
16 10 13
11 19 8
14 9 14
これを見ると、彼の運命式が人の影響を受けると同時に、知恵と気配りの人であることが分かります。
三成は武将としては大きな力に欠けています。ただ本性の持つ気配りが出世の大きな足がかりになりました。
石田三成は、戦働きで大名になったのではなく、秀吉の官僚として、事務能力に優れていたので出世したというのです。
まあ、秀吉が三成を見出したエピソードはあまりに有名です。
秀吉が三成を見出したのは、まだ三成が小坊主をしていた頃、寺に立ち寄った秀吉にお茶を出したのです。このお茶の出し方に感心した秀吉が三成を側に置いて育てたといわれています。
この運命式を見てもわかるように、彼は気配りと負けん気の強さだけで伸びてきたのです。ですから歴戦の勇者とうまくいくわけがありません。秀吉の威を借りた行動は誰から見ても面白いわけがないのです。秀吉なき後、豊臣恩顧の他の武将より三成が殺されそうになったことからもわかります。
確かに人情もあり、知恵もありの人ですが、仕事の運勢を見てみますと、どう もトラの威を借りた猫ならぬ知恵者というところでしょうか! 秀吉の名ゆえにえばり散らす所があったように思います。これでは、秀吉亡き後歴戦の勇者とうまくいくはずがありません。
本人は秀吉と人情的に結ばれていても、その仕事振りはトラの威を借りた知恵者というわけですから、彼が秀吉亡き後どんなに秀吉に恩義を感じて、反徳川 戦線を張ろうとしても、 歴戦の勇者達は面白いはずがありません。朝鮮の役では彼の故に要らぬ苦労ば かりさせられてきたのですから!
このことは、秀吉恩顧の歴戦の勇者達が、反徳川戦線を張る光秀に反対して徳 川方についたことでも明白です。
彼の人気運も、頑固に自分の意地にこだわったために、本当に三成の友となり うる人は少なかったと思います。
まあ、こういう男が関が原の天下分け目の大戦を仕掛けていくようになるには、 相当の準備が必要でありました。
天下の情勢は、徳川によってどうも三成が利用させられたという気はします。
それだけ徳川は狡猾であったということがいえますが!
島勝猛といってもわかりにくい方もおられると思いますが、島左近といえば「あー」と納得いかれると思います。石田三成の家老が島左近なのです。
この三成が関が原の大戦を仕掛けていくのですが、これは背後に島左近がいたからです。島なくして石田三成の挙兵はあり得ないといってもいいでしょう。
「三成に過ぎたるもの二つあり、一つは佐和山城、一つは島左近」
と言われたほどの人物です。三成は島が浪人していたとき懇請して側近にしたといわれています。 さて、この二人の運命式を見てみましょう。一目瞭然、島はさすがに有能な武将です。
天下の情勢を知恵だけで乗り切ろうとした三成には、島左近という傑出した人物が必要でした。彼がいなければ、三成は力を出せないで終わっていたと思います。
島左近(勝猛)という男、その指導力と外交能力は卓越したものがあったと思
われます。
<島勝猛の運命式>
22 11 23
12 34 22
24 23 33
島勝猛の運命式は人情的な親分肌といっていいでしょう! ですから、人生、粋に感じて行動するところがあります。この人、最初三成と手を組むの嫌がってたんですけど、三成の三顧の礼に感じいって、三成の家老になるのです。
さて、この島の運命式を見てみましょう。先ず本性は人情的な組織型、社会的性格は人との和を保とうとします。仕事運は積極自己開拓で親分型、人気運は卓越した外交作戦能力を持ち、この外交能力をしっかりと生かす本性と心霊運は幅広い人脈をつくります。
この人の人気運は、さすがに外交能力がありました。
島なくして三成の外交は成り立たなかったでしょう。
しかしながら、三成を表に立てての外交では、思うにことが運びません。関が原の天下分け目の戦いでの西軍の敗北は、三成の人徳のなさが、その敗北の遠因になっているのは間違いありません。
関が原敗北の遠因はこんなところにあったのではないかと思います。そして島勝猛の運命式には滅びの暗示がありました。
島勝猛は結局三成と組んでしまって自身の滅びの道を選択してしまったのです。
「歴史の皮肉は、それぞれの個性が天下泰平に向かってそのドラマを演じてい
ることを物語っています。さて、自分という個性は歴史の中で、どんなドラマを演じているのでしょうか? ちょっと考えてみるのも一興かと思うのですが!どうでしょうか?」
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