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現代企業の参考例・・・◇決勝再試合あっての自分 プロ野球解説者・太田幸司

プロ野球解説者・太田幸司


●決勝再試合あっての自分
プロ野球解説者・太田幸司さん



 午後5時25分、大阪・茶屋町の毎日放送スタジオ。ラジオ番組「太田幸司の熱血!タイガーススタジアム」が始まった。月曜から金曜までの帯番組で、メーンキャスターを務める。阪神タイガースのキャンプ情報にプロの厳しさを知る者ならではのコメントを加え、出演者たちと軽妙なおしゃべりを繰り広げる。寡黙な悲運のエースのイメージは、みじんもない。
(読売新聞ジョブサーチインタビュー)


もちろん、新聞記事であるから多少の脚色がある事も念頭において、運命式から見る社長と企業のあり方を見ることも為になるのではないかと思う。"企業は人なり!"とは、よく言われる。結局会社の運命を左右する人は、企業トップですから、トップを知ることはとても大切であると思います。


◆プロフィール
1952年生まれ。青森県出身。三沢高校を経てドラフト1位で近鉄に入団。生涯成績は58勝85敗4セーブ。「もう一度、ユニホームを着たいと思った時期もありましたが、今は発信するこの仕事にやりがいを感じています」 現在はプロ野球解説者


○悲運のエース
  昨年夏の甲子園、早実と駒大苫小牧の決勝戦を見ていた40代半ば以上の世代は、あの夏を重ねていたに違いない。1969年、四国の名門、松山商と北奥羽代表の無名校、三沢高との決勝は、延長18回を戦って0―0と決着がつかず、翌日の再試合の末、松山商が優勝旗を手にした。


 
27イニングスを独り投げ抜いた敗戦のエースに、涙はなかった。「すべて出し切ったという満足感がありましたから。延長戦では延長に入ってからの9回の方が調子が上がっていった。疲れ切って力が抜けた分、ボールが伸びたんです。あれ以上のピッチングは、プロに入ってからも、結局できませんでした」


○人気との落差
  甘いマスク、マナーのよさとさわやかさ。定岡正二、バンビ坂本、荒木大輔からハンカチ王子に至る甲子園のアイドルの元祖である。だが、爆発的な人気も、近鉄に入団した当初は重荷だった。オールスターのファン投票では投手部門でダントツの1位。自分のピッチングを見失った2年目は、人気と実績の大きな落差が、ことにつらかった。


  「投票経過を見るたび、もっと野球を分かってよ、と思いました」。結局この年は勝ち星なし。オフには野球をやめようとまで思いつめる。
  だが「甲子園は忘れて、新しい太田幸司を作らないといけない」のアドバイスに奮起。オーバースローをスリークオーターに変え、スライダー、シュートをまじえた横に揺さぶるピッチングで、74、75年、77年と2けた勝利をマークした。


  79年に肩を壊し、本来の球威はついに戻らなかった。一軍登板のなかった巨人、阪神でも、前向きに若手の練習を引っ張った。
  あの延長戦から38年。一時は重荷だったが、いつしか「あの試合があったからこそ」と受け入れられるようになっていた。「それぞれの人生に重ねて覚えていてくれる人がいるんですよ。あんなに頑張ったのに、今はこんなんかいと言われたくない。だからチャレンジできる」


  2日にわたった大熱戦の細部は、あまり覚えていない。ひとつだけ鮮やかなのは、再試合後に見上げた甲子園の空。あの空の青さだけは、今も色あせることがない。
(敬称略)
山内則史


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○〜延長18回 松山商−三沢〜の記録
(http://www.nhk.or.jp/spotai/onair/47/report.html 参照)


高度成長まっただ中の昭和44年、反戦フォーク、学生運動など多くの若者がベトナム戦争や国家権力に怒りをぶつけた時代。
  夏の甲子園大会決勝、松山商業対三沢高校の一戦は、そんな時代に日本中の人々の心に爽やかな風を吹き込み、感動を与えてくれた。
  名門校としての誇りを胸に決勝まで勝ち上がってきた松山商業。一方、エース太田を中心に小学生時代から築いた結束力で決勝へと勝ち上がった三沢。両校の戦いは、両エースの壮絶な投手戦で、延長18回0対0の引き分け再試合となった。延長15回裏、16回裏の2度にわたる満塁の攻防。このイニングは、伝説のイニングと呼ばれ、人々は球児たちの熱闘にくぎ付けになった。
  取材に当たって、両校のエース、三沢の太田幸司さん、松山商の井上明さんが、甲子園のマウンドに上がった。思い出話に花を咲かせる二人には、36年たった今も、激戦を繰り広げたことから芽生えた友情が続いていた。「優勝したいという気持ちよりも、この一戦をやり遂げたことが大きかった」。二人の口から出たこの言葉は、まさにこの一戦を物語っていた。両エースだけでなく、松山商主将で捕手の大森さん、遊撃手・樋野さん、三沢の主将・河村さん、捕手・小比類巻さん、一塁手・菊地さんと当時のナインも、この激闘に優勝以上の誇りを感じていると話してくれた。
  松山商は、全国制覇だけを目標に猛練習に明け暮れ、高校野球3年間の集大成を優勝で飾った。一方、小学生の時から顔なじみの選手たちが集まった三沢は、まさかの決勝の舞台で名勝負を繰り広げた。対照的な両校だったが、勝負を終えたときの気持ちはひとつだった。今もまったく変わらないその気持ちが取材を通して強く伝わった。
  松山商監督一色さんは、当時「鬼の一色」と恐れられスパルタ野球で、猛練習を選手たちに課せ、名門の看板を背負って全国制覇を成し遂げた。取材中、当時を思い浮かべる鬼監督のその目には涙が映っていた。「自分を信じればなんでもできる」と一色監督は話してくれた。この言葉は、松山商はもちろんのこと、チームメイトを信頼し、結束力が強さだった三沢にも当てはまる言葉だった。これが奇跡の名勝負を生んだのかもしれない。
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■悲運のエースといわれた太田幸司の運命式は・・・
高校球児の夢の目標甲子園でのレジェンド・・1969年、四国の名門、松山商と北奥羽代表の無名校、三沢高との決勝は、延長18回を戦って0―0と決着がつかず、翌日の再試合の末、松山商が優勝旗を手にした。
27イニングスを独り投げ抜いた敗戦のエースに、涙はなかった。
「すべて出し切ったという満足感がありましたから。延長戦では延長に入ってからの9回の方が調子が上がっていった。」
悲運のエースといわれた太田幸司さんの運命式をみてみることにしよう!


<太田幸司さんの運命式>
14  9 17
  9 22 13
17 13 18


<この時期の太田幸司さんの15年周期の運勢>
21 22 11 14 
22 25 14 15


この運命式の中から、今のプロ野球解説者太田幸司さんの秘密がある。それをひもといてみたいと思う。


●運命式は大きな落差を暗示していた


★ルーツは中学校時代にある。
  太田幸司さんの中学校時代は、外野手から投手に転校している。この時代の太田幸司さんは自分の感性だけを信じて生きているといえる。それがよかったともいえるのだけれど、ここはそれだけでは終わらない。この時代のパワーは面白くて、新しい環境や新しいチャンスを呼び込む力を持っているのだ。
そのことが高校へ行ってから現れるようになる。
そして自分を変える力も同時に持っているということである。


★人気との落差がひどい。
  甘いマスク、マナーのよさとさわやかさ。定岡正二、バンビ坂本、荒木大輔からハンカチ王子に至る甲子園のアイドルの元祖である。だが、爆発的な人気も、近鉄に入団した当初は重荷だった。オールスターのファン投票では投手部門でダントツの1位。自分のピッチングを見失った2年目は、人気と実績の大きな落差が、ことにつらかった。
  「投票経過を見るたび、もっと野球を分かってよ、と思いました」。結局この年は勝ち星なし。オフには野球をやめようとまで思いつめる。


★運命式は何を暗示していたのか?
  太田幸司さんの運命式は、ものすごく特徴的である。
何がというと、この運命式の特徴は、自分は手堅くしっかりと、自分の考えに沿って一生懸命にやっていこうとする思いはあるのに、自分が思ったとおりの仕事が極端にあらわれることになる。甲子園時代を引きずりながら、その時の人気だけが先行する。変わろうとする自分、変わらないで守ろうとする自分がいつも葛藤しているということができる。
そういう落差の大きい運命式の可能性を持っているのです。


●変わろうとしたときに運勢はやって来る


★アドバイス
「甲子園は忘れて、新しい太田幸司を作らないといけない」のアドバイスに奮起。オーバースローをスリークオーターに変え、スライダー、シュートをまじえた横に揺さぶるピッチングで、74、75年、77年と2けた勝利をマークした。
太田幸司さんの運命式の特徴は、いつでもそうだが、変わろうとする自分と守ろうとする自分、変わりたくない自分との戦いの中で運命式が展開していくようになる。
そしてこの時の太田幸司さんの流運は、人のことばの中にヒントをもらうような運勢をしている。
だから、人のアドバイスに自分を変えようとしたところから運勢の好転が始まったのだ。


★肩を壊して2軍になってから、自分がわかってきた
「79年に肩を壊し、本来の球威はついに戻らなかった。一軍登板のなかった巨人、阪神でも、前向きに若手の練習を引っ張った。」
実はこの時を過ぎてから流運は、攻撃的な強い運勢に入っているのです。
そして自分を変えることができることに気がついたのでしょう!


だから今、野球解説者としての新しい自分を発見しているのだと思います。
「ラジオ番組「太田幸司の熱血!タイガーススタジアム」が始まった。月曜から金曜までの帯番組で、メーンキャスターを務める。阪神タイガースのキャンプ情報にプロの厳しさを知る者ならではのコメントを加え、出演者たちと軽妙なおしゃべりを繰り広げる。寡黙な悲運のエースのイメージは、みじんもない。」


  「人間は変われるんです。現役時代は打たれると何日も落ち込みましたが、今は失敗しても気にしない。当時この性格だったら、もっと活躍できたかも知れないね」


●ポイント
極端な運命式を使いこなすには時間がかかるものだ。でもそれをしっかりとコントロールできるようになれば、大きな力を発揮するようになるということである。


●太田幸司「ピンチを切り抜けるため」の3か条
@自分を信じる
自信を持てるかどうかで結果はおのずと違ってくる。
A聞く耳は持つが、決断するのは自分
様々な意見に謙虚に耳を傾けて有益な場合もあるが、後悔しないためにも、最後の決断は自分でする。
B後期のために、常に準備しておく
ピンチのあとにチャンスあり。準備がないと、チャンスがきていることに気づかない。


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